下関車輌管理室113系 (クハ111−268) 【最終更新日】
2014年07月14日

 ノーマルなクハ111のようだが、偶数方先頭車(クハ111−300番代)からの改造編入車で、元車番はクハ111−462。
 1994(平成6)年3月に赤帯車として使用されていた奈良区での運用が終了した後、宮原区貸出(三田付近の脱線転覆事故で所要不足になった103系の代走)→1995(平成7)年1月に向日町運転所貸出(阪神大震災に関連した東海道本線輸送力増強のため、山陰本線(嵯峨野線)で使用されていた高速化対応車の捻出用)→1995(平成7)年3月に岡山区貸出(阪神大震災関連貸出車の代替)→1997(平成9)年5月に広島運転所転属(播但線電化開業に伴う103系の捻出用)→1999(平成11)年3月に下関車輌管理室転属となり現在に至っている。
 広島所時代から115系の先頭車として使用されていたものの、抑速ブレーキが使用できないため下関転入当初は岩国−下関間の限定運用が組まれていた。その後、主幹制御機の交換が行われたことで抑速ブレーキの制御が可能になり、晴れて115系先頭車の仲間入りを果たした。
 下関車輌管理室113系・115系のなかで最後まで原型の大型ライトが残っていたが、2008(平成20)年になって105系の廃車発生品を利用してシールドビーム化されていた。



▲シールドビーム化された姿。シールドビーム化工事とは別に屋根上のグローブ型通風器(グロベン)が撤去され、のっぺりした外観になった。

(撮影日:2008年08月16日)



▲屋根上のグロベン、手掛けのない側ドアに111系の面影が残る。

(撮影日:2007年09月24日)


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